2008年03月03日

時代の後ろを行っている。

日記はなるべく開けないようにしたいものだ(願望)。

3月16日開催のTAT-HON2にて
『デュアル☆デュエル 戯画輪舞 第4幕 ~メルルン滞在記~』発売します!!
お待たせしました!
当日、私は会場に行けませんが『ガンカタ☆スケッチ』したい!!(笑)

そして『雪月の星霜』ひとまず以下のサイトで新たにダウンロード販売開始しました!
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「Yahoo!」「楽天」等は来週ごろより販売開始予定ですー!
「So-net」ではなんと3月16日まで10%OFFで販売してます!
値引き販売するなんて話聞いてないぞ!(笑)

前回の日記で書き忘れてましたが、実は『ドッジ弾幕』方面でも進めている企画があります。
『ドッジ弾幕』方面と言うか、東方二次創作方面です。
5月の「例大祭」にて発表予定!
情報は追って公開します。

現在発売中のゲーマガに載っている広井王子さんのコラムのタイトルが
「ゲームに物語はいらない」だった。
ゲームはおもちゃであり、本来、物語などいらない物。
近年DSやらWiiやらによってゲームが本来の形を取り戻してきている。
と言うような内容だった。
正直この内容はショックだった。
この内容、そもそもは同感だし、現在も同感である。
私が子供のころはファミコン全盛期の時代だった。
しかし、家庭環境の関係もあり私はあまりファミコンで遊んでいない。
でもあまり不満はなかった。
私はそのころからアニメや漫画が好きで、それらをとても大切にしていた。
ファミコンゲームは私にとって暇つぶしや友達とのコミュニケーションツールでしかなかった。
今でこそ味わいを感じることが出来るが、当時は荒いドット絵が嫌いだった。
アニメや漫画のほうが絵として素晴らしいと思っていた。
だから当然、表現手法の一つとしては認められなかった。
物語を語るなら、アニメ、漫画、でなければ小説が一番だと思っていたのだ。
あんな貧相な物で何が語れるのか。
小学生ながらずっとそう思っていた。
しかし、次世代機の登場でその考えが一変する。
当時の『バーチャファイター』のようなバリバリポリゴンは嫌いだったが、
あれは忘れもしない、友達の家で初めてサターンで動く『サクラ大戦』を見た日。
私の中で初めて、表現手法としての選択肢に「ゲーム」が生まれた。
(それ以前に『天外魔境』とか知ってたら、その時にショックを受けたのかもしれない)
ただ、これは「ゲームがアニメに近づいた」と同時に「ゲームがゲームでなくなった」とも言える。
(事実、『天外』だったか『サクラ』だったか忘れたが、ヒット前は一部ゲーム雑誌から
 「これはアニメでしょ?」と掲載を拒否されたりしたらしい。
 当然アニメ雑誌からも「これはゲームでしょ?」とシカトされたそうな…)
だから、私は説明を求められれば『雪月』等を「アドベンチャーゲームです」と渋々口にするが、
基本的には「ゲーム」と呼んでいない。
そもそも事実を称するのは必要だがカテゴライズは不必要だと思っている。
カテゴライズの必要に駆られてもあれは「ゲーム」とは言い辛い。
「ゲーム」って言うのはそれこそ「パズル」「シューティング」「アクション」等あの辺の事だと思う。
以前、講演を聴いた某大学の工学系(准?)教授が、今の学習ソフト系のヒットについて、
「昔はゲームは頭が悪くなるとか健康に良くないとか言われていたのに、今では反対なんですよ!」
と誇らしげに話していた。
まぁ、この話は冗談半分で言っていたのだろうが、
私は「いや、だからそれは最早ゲームじゃないでしょ」と思っていた。
桃井はるこさんが自著の中で書いていた
「何の意味もない、何の役にも立たない事に熱中できるのが本当のゲームの良さ(要約)」
のほうがよっぽど真理だと思う。
と、まぁ、少々話がズレたが、
ショックだったと言うのは、「ゲーム」と言う世界に「アニメ」を持ち込んで、
その世界と私の意識に(笑)革命を起こした張本人である広井さんが、
本来の「ゲーム」について書かれたという事だ。
多分、もうアニメや映画のような「ゲーム」は、終わるべき時代がやってきたのだろう。
おちまさとさんがよく「企画屋は天邪鬼であるべし」みたいな事を言っている。
バラエティ番組にテロップをたくさん出したりといった、
現在のテレビ演出の先駆けをしてきたおちさんであるが、
おちさん自身はみんなが真似し始めた時点でその手法から手を引いている。
流行ったらやめる、と言うのは確かに天邪鬼と言えるかもしれない。
しかしこれは、視聴者が食傷を起こすまでやったらダメなんだ、
と言う事を知っているが故の行動なのだと思う。
または、大貫卓也さんの作った「ペットボトルにおまけを付ける」のように、
その表面的なスタイルだけが模倣され氾濫し、
本来の、そのスタイルに行き付いた理由が欠落してしまうからかもしれない。
多分、今のエンターテイメント業界にはそんなのが腐るほどある。
物語手法のゲームもそうだし、学習系ゲームももう要らないだろう。
メディアアートだってそうだ。
コンピューターゲームはメディアアートの後追いが多いが、
現在のメディアアートはゲーム含むコンピューター文化の後追いが出てきている。
ただ、好きで「先端」を避けているわけではないはずなのだ。
遺憾ながら私自身もそうだ。
常に「先端」の事は考えているが、先端だけで勝負するのはリスクも大きく、
それが賢い方法かどうかは分からないでいる。
正直、現在の私はほぼ後追いの形だ。
先人たちの作ってきた道を歩んでいるに過ぎない。
中には、もう腐り始めている道もある。
現在の私に出来るのは「後追い」に「先端」をちょっと絡めるくらいな物だ。
そうやって偽装して、少しずつ「先端」を世に差し入れていく事しか出来ない。
ジレンマはあるが、これがある意味正解でもあると思っている。
「先端」だけでは世間からの拒否反応が強すぎる。
それでは、最終目的を達成できない。
ただ、ちょっと後追いの分量が多いとは思っている。
早いとこ、先端の分量を増やしても大丈夫な場所まで行かなくては…。

3月2日
久々にミュージカル座のスクール。
なんかだんだん高度になってきた気がする…(汗)
今日は終わったあとに親睦会が催された。
本当に様々な人がいて驚き。
みなさん凄いなぁ…。
2月25日
THEATER1010にて上演されていたミュージカル座『トラブルショー』を見に行く。
通し稽古を見せてもらっていたが、やはり劇場で、すべてがそろった状態で見ると、
まったく印象が違う。
演出もさらに手が入っていてさらに素晴らしくなっていた。
しかし、逆に、すべてが揃ってしまったがために、
台本の状態じゃ気がつかないような問題点も浮かび上がって見えた。
何事もそうだが、やはり予行ではすべてを見通す事は出来ない。
観劇の後、日曜スクールで知り合った方の参加している別のスクールに試しに顔を出してみる。
こちらは歌唱中心だが、教室のせいもあってかどこか懐かしい雰囲気。
大学のサークルのようなノリでなかなか面白かった。
2月24日
武蔵野画廊にて『企画作品展 磯邉美香 木下康生』を見に行く。
昨年にも同様の展覧会が行われていたが、二名とも前回とは大きくスタイルが変わっている。
しかしながら、根本にあるものは同一であり、
その根本を霞ませていた要素が大分取り除かれていた。
大貫卓也さんの言うような意味での「シンプル」に昇華されている。
2月21日
東京芸術劇場にて上演されていた音楽座ミュージカル『リトルプリンス』を見に行く。
…もう、素晴らしかった。
音楽座の作品はずっと見たいと思いつつ見た事が無かったのだが、これは凄い。
『星の王子さま』をベースにしたオリジナルミュージカルである。
しかし、演出はブロードウェイ系の華やかな物ではなく、また歴史物のような荘厳な感じでもない。
ダンス、と言うより舞踏による表現が多く、
布と金属フレームのひな壇と言う簡素な装置を使用した舞台演出が主だ。
ストーリー展開もとてもまったりとしている。
正直、冷静に挙げていくと私の好きなタイプの作品ではない事が分かる。
(実際、上演写真見てもあまり惹かれない(笑))
しかし、素晴らしいのである。
アートに必要な絶対条件は「なんだか分からんが凄い」だと思っているのだが、
(理論は必要だが、それは絶対条件ありきの問題だ)
このミュージカルはまさに「なんだか分からんが凄い」!!
先にも書いたが、この作品を構成しているパーツ一つ一つはあまり好きではない。
だが、すべてが集まったときに凄い事になる!!
特に後半が素晴らしい。
王子とキツネのやりとり。
水を探す飛行士と王子。
そしてラスト。
圧巻だった。
初日にも関わらず、幕後の劇場はスタンディングオベーションだ。
思わず私もスタンディングオベーションだ(笑)
あんなに長い拍手を聞いたのは初めてだったし、それに値する作品だったと思う。
観劇後、いつまでたってもドキドキが治まらず、
見た物を考えるだけで思い出し泣きが出来るんじゃないかと言う状態だった。
再演作品とはいえ、今回は4日程度の公演。
もっと多くの人に見てもらいたい作品だ。
こう言う化け物みたいな作品が稀に現れるから観劇はやめられない。
また、音楽座のスタイルも素晴らしい。
まず、広報誌と言う形も兼ねて、作品パンフレットが全員無料配布!!
しかもB4全ページカラーと通常1000円ほどで売っている物と遜色ない。
そしてあんな素晴らしい上演のあと、メイン含めた全キャストがロビーでお見送り!!
お客さんは直接感想を伝えられ、その感動を共有できる。
小劇場ならまだしも、あの規模(800席超)の上演で、
出演者がロビーに出てくるなんて考えられない!
素晴らしいサーヴィス精神。
感服である。
どうやらまだ東京以外の公演があるようなのでそちらの方面の方は是非。

written by D.J.HIRO : 2008年03月03日 23:15



comments

オヒサッ(ぇ)最初に一言、学生にもどりたいっ!(ぉぃ)

芸術を仕事にすることというのは入り口から儚く、深くして強いものなのか・・・
自分が成長しなくなるのが、自分が興味を失っていくのが怖いのではない。
自分が少なからず安定を求め、慣れようとしているのが怖い。

世間的に見りゃまだまだ俺もガキ。
いつしか俺の不安定が世界の安定になりますように。

ということで大分精神が憂さ憂さしてます。
納品終わったら遊びます(ぁ)

written by 苦労騎士 : 2008年03月03日 23:14

私の場合、自分が恵まれている事あるかと思いますが、
学生じゃないって最高だと思いますね。
確かに学校はいろんな事を学べたり友達出来たりしますけど、
仕事だっていろんな事学べるし良い人間関係も生まれます。
そしてなによりお金まで貰える!!
お金が出て行くばかりだった学校とは違う!
仕事こそ一石多鳥の世界ですね!(笑)

また学校に行きたいとも思いますが、
一石多鳥しなくてもいいような余裕が出来たら、
その時に行きたいですね。

安定を求めるのはとても普通だと思うし、
事実そのほうが全てに置いて良いのではないかと思います。
前に友人たちと似たような話をしましたが、
今の社会は人々が人生に退屈しないように、
いろんな物を用意してくれています。
エンターテイメントもそうだし、
アートもその役割を担っているでしょう。
だから安定の中にいて、
そう言うものを楽しんでいくのが多分一番良いし、
幸せになれる事だと思います。

ただ、それだけだと嫌だと言う人は、
自ら不幸の道に進めば良いのだと。
ただし、その不幸はその人にとっては幸福なはずですので、
それをちゃんと自覚していないといけません。

決算時期はどこもてんてこ舞いみたいですが、
がんばってくださいー。

written by D.J.HIRO : 2008年03月06日 22:27

ここでいうゲームがテレビゲームの事を指しているのなら、広井王子は「物語」じゃなくて、
「シナリオ」って言いたかったんじゃないかなと思った。こちらの方がまだ正確な気がする。
スペースインベーダーでさえ「宇宙船に乗って宇宙人と戦い、勝ったり負けたりする私」という「物語」があるとも言えなくもない。
世界で最初のテレビゲーム「tennis for two」(非商業作品)でも同じ事が言えちゃう。

「シナリオ」として考えると確かに「本来のゲーム」(本当は「かつてのゲーム」な気がする)にはないよね。
桝山寛という人は「テレビゲーム文化論」という本でテレビゲームの本質を「相手をしてくれる」と定義してます。(暇つぶし)

しかし、テレビゲームは映画のような総合芸術なので、色彩や音質が増えることもあれば、絵やシナリオが付属される事もある。
(よくよく考えればすべての芸術は総合芸術のように思えてきたけど……まぁそれは置いとくとして)

整理すると、テレビゲームの「ゲーム」は「おもちゃ」であり「相手をしてくる」物なのだが、「テレビ」はメディアであり総合芸術だと言える。
つまり本来の「テレビゲーム」とは「おもちゃ」でもあり「総合芸術」でもあるって事です。
(ノベルゲームに関しては確かに俺もゲーム?と思ってしまいますw
たぶんこういったゲームをゲームとして語るのが何だか難しいのはこの「テレビ」の部分だと思うんです。
ほんとは「テレビ」と「ゲーム」を分けて考えればいいのですが、
少なくとも今現在の「ゲーム」は「テレビ(映画的な物つまり映像と音と言葉)」と切り離してしまっては考える事ができない)

話が逸れましたが、まぁ何が言いたいかというと(汗)
ともかくそう考えた時に、「アニメ」は「テレビゲーム」に持ち込まれたのではなく、
元々あったと言うべきではないかという事です。
だからノベルゲームをゲームとして疑ってしまう本当の理由は、
あれがゲームではないから、ではなく、あれが私たちの知っているゲームから遠く離れしまっているから(だがゲームである)、なのではないかと思いました。

それらは、メディアとしての「総合芸術としてのテレビゲーム」が表現手法として使えるから、
ゲームを選んでいるといった流れな訳で(メディアアートのような)、
「相手をしてくてる」って部分にはあまり趣を置いていないという感じじゃないかな。
以上というのが私の思った事です。長々とさーせん

written by 高山ユッキー : 2008年03月07日 22:16

こんにちは!
日曜にお世話になってる息子です(^^;)
アインシュタイン、ミュージカル座でググってたら
偶然発見してしまいました。
なんかすごい、物を作る仕事をしてるって尊敬します☆

突然お邪魔しました~
本番頑張ろうね(^^)

written by りぃ : 2008年04月10日 13:50

>りぃさん

ハンス!?

そうか…うちはそんな検索語句でひっかかるのか…盲点だった(笑)

まともな仕事出来て無い父だが(笑)コメントありがとね!
本番絶対成功させよう~!!


>ユッキーさん

放置していたわけじゃ無いんだ。
信じてくれ(笑)
まず、私も広井さんの「物語」と言う単語は、
ほぼ「脚本」と捉えているね。

>つまり本来の「テレビゲーム」とは「おもちゃ」でもあり「総合芸術」でもあるって事です。

ゲームがテレビと言うメディア上に展開された時点で、
テレビゲームと言う物の可能性の中に、
現状(アニメや映画に近づいた形)は内包されていたってことだな。
そこに気が付いた広井さん始め何名かのクリエイターたちが、
その「テレビゲーム」の要素を育てた。
ある意味では正当な進化をしてきたって事だよね。
しかし、それが進みすぎて(アニメや映画に近づきすぎて)、
本来のゲーム(相手をしてくれる、ひまつぶし)の要素が、
欠落してきてしまった。
それが結果として本来の「ゲーム」の良さを失わせたわけだ。
現在の「映画的ゲーム」が悪いって訳じゃないけど、
単純で直感的なゲームが売れているのは
世間は本来の「ゲーム」を求めていたってことなのかもね。
一種の無いものねだりかもしれないけどさ(笑)

written by D.J.HIRO : 2008年04月11日 23:39